ディズニーアニメ映画ランキング

ディズニーのアニメ映画のランキング

ディズニーのアニメ映画の名作ランキングです。歴代の全作品をベスト1位からワースト1位まで並べました。それぞれの映画の内容や評判など。アメリカの映画批評家の評価・レビューを集計する「ロッテン・トマト」のスコアに基づいています。1位はアニメ史上の最高傑作であり、不朽の名作と言われるピノキオ(1940年)。2位はクマのプーさん、3位は白雪姫。21世紀の作品では「ズートピア」が6位、「アナと雪の女王」が17位です。(MOVE 中島徳至)

順位 作品名、制作年、動画 解説
ピノキオ

(1940年)

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長編アニメーションの2作目として誕生した『ピノキオ』。

制作期間3年という長い歳月を経て制作され、前作の『白雪姫』とは全く異なるストーリー。

夢と希望に溢れた物語が誕生しました。

妖精のブルー・フェアリーによって命を授けられた人形の男の子。

「正しく優しい子になったら本当の子どもにしてあげる」とブルー・フェアリーに言われ、ジミニー・クリケットとともに様々な冒険をする。

好奇心が旺盛で人を疑うことを知らないピノキオは何度も悪者に騙されるが、そのたびに困難に立ち向かっていく。

人々を驚かせた最新技術

当時では破格の250万ドルを投入し、大勢のスタッフで制作された『ピノキオ』。

鼻がにょきにょきと伸びるリアルな描写など最新技術を駆使した映像は子どもだけでなく大人もを驚かせました。

特に海のシーンでは、凹凸のあるガラスをセル画の中で動かし、水のゆらめきを表現したそうです。
くまのプーさん

(1977年)

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ディズニーが1977年に製作した「くまのプーさん」として初めての長編アニメ。 それまでに製作された「プーさんとはちみつ」「プーさんと大あらし」「プーさんとティガー」という中編映画3本を、一つにまとめた作品です。 英語の題名は「The Many Adventures of Winnie the Pooh」。

日本では当時、映画館で上映されませんでした。しかし、製作から20年後の1997年に「くまのプーさん 完全保存版」という題名で、ビデオ発売されました。

クリストファー・ロビン少年の100エーカーの森に住む、クマの縫いぐるみプーとその仲間たちの、愉快で心温まる物語が、まるで絵本を楽しんでいるかのようにつづられています。

くまのプーさんは、2011年にも再びアニメ映画の新作が公開されました。
白雪姫

(1937年)

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1937年に公開された世界初の長編アニメーション。

ディズニー長編アニメーション作品第一弾となった。

その名のとおり雪のような白い肌に、美しい黒髪、赤いバラのような唇を持った少女。

誰からも好かれる心優しい少女ですが、その美しさゆえに継母である女王からは疎ましく思われています。

そのため簡素な服を着て、掃除や洗濯の雑用をやらされる日々。

しかしある日、王子と出会い自雪姫の人生は変わっていきます。

その美しさゆえに妬まれた悲劇のプリンセス

雪のように白い肌の美しさから、白雪姫と名づけられたある城のお姫様。

明るく朗らかで優しく、なにより美しい白雪姫でしたが、それは自分が一番美しくありたい継母である女王にとっては「いつか自分よりも美しくなるのではないか」という脅威でしかありません。

そのため女王は白雪姫の美しさを妬み、辛く当たるばかり。

そのため白雪姫は姫でありながら、まるで召使いのような生活をしていました。

女王は、魔法の鏡に「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」と聞き、「それはお后様です」と答えが返ってくることでその自尊心を保つ日々。

しかしある日、女王のいつもの質問に対し、鏡は白雪姫の名をあげ、その美しさによる嫉妬に震えるのでした。

人はそれを〈ディズニーの愚行〉と呼んだ。

ウォルトディズニーは、アニメーションがその生き生きとした動きで、それなりの長さのある物語を、実際の感情を、芸術的表現を伝える手段となりうるということを証明しようとしたのである。

現代においては当たり前に思えるけれども、1930年代当時、映画は大人のための芸術分野であり、子供のためだけに制作されることは比較的に珍しかったのだ。

『白雪姫』はハリウッドで制作された最初のアニメーション長編映画であると同時に、世界に配給された初めてのアニメーションである。

本作について特筆すべきは、これがウォルト・ディズニー社の最初のアニメーション長編というだけではなく、いまなお同社の最高傑作でありつづけていることである。

現代の観客がディズニーのアニメーション作品で見慣れているすべてを『白雪姫』に見ることができる。

清く正しく美しいヒーローとヒロイン、恐ろしい悪役、息を呑む映像、道徳的教訓、愛らしい動物たち、おとぎ話のような展開に、少々派手な歌が盛り込まれ、うまく機能しているのだ。

時代を超えた人気はディズニーの試みの成功を物語っている。

あらゆる優れたおとぎ話と同じように、『白雪姫』は親に捨てられること、裏切り、孤独といった、最も根源的な恐怖を語っている。

しかしそうした恐怖をウィットや人を惹きつけるユーモア、古き良きロマンチックなハリウッド風エンディングで一掃している。
ダンボ

(1941年)

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ディズニーの3作目の長編アニメーション「ダンボ」。

サーカスを舞台に空飛ぶダンボをめぐって様々な騒ぎが繰り広げられます。

ダンボはサーカスの小さな大スター。

コウノトリがサーカス団のゾウ・ジャンボの元へ運んできた可愛らしい子ゾウ、それがダンボです。

小さな体に、青い目、そしてとっても大きな耳!

ダンボを守るために暴れ、捕らえられてしまった母を助けるために、ねずみのティモシーの協力でその大きな耳を使って世界初の「空飛ぶゾウ」になるべく奮闘します。
101匹わんちゃん

(1961年)

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ズートピア

(2016年)

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シンデレラ

(1950年)

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モアナと伝説の海

(2016年)

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アラジン

(1992年)

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10 美女と野獣

(1991年)

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11 ファンタジア

(1940年)

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12 ライオンキング

(1994年)

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13 リトルマーメイド

(1989年)

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14 わんわん物語

(1955年)

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15 イカボードとトード氏

(1949年)
16 クマのプーさん

(2011年)

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17 アナと雪の女王

(2013年)

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18 バンビ

(1942年)

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19 ベイマックス

(2014年)

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20 ボルト

(2008年)

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21 塔の上のラプンツェル

(2010年)

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22 ターザン

(1999年)

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23 メロディ・タイム

(1948年)
24 シュガー・ラッシュ:オンライン

(2018年)

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25 眠れる森の美女

(1959年)

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創始者ウォルト生誕100年 「夢」生み続けるディズニー

2001年10月19日

「創造」「革新」の精神、脈々と 映画祭など記念イベント相次ぐ

世界中の人々に夢を与え続けているディズニー映画。2001年は、生みの親のウォルト・ディズニーの生誕100年に当たり、様々な記念イベントが行われる。その「創造性と革新性」を引き継いだスタッフは、1966年にウォルトが亡くなった後も新作を撮り続けている。ディズニーの歴史を振り返り、その魅力に迫る。

ウォルト・ディズニー

ウォルト・ディズニーは1901年12月5日、米シカゴに生まれた。絵が大好きで、7歳の時から近所の人たちに自分がかいた絵を売っていたという。そして1920年、初めてオリジナル動画を創作した。

ミッキー

ウォルトが生んだ最大のスター、ミッキーマウスが初登場したのは、1928年の世界初の完全トーキーアニメ「蒸気船ウィリー」。1929年には、最初のキャラクター商品である子供向けノートが発売された。

「ディズニー 100イヤーズ コレクションボックス」(講談社)で、初期のミッキーに触れられる。先のノートをはじめ、ミッキードール(1932年にアカデミー賞を初受賞した時の写真に、ウォルトと一緒に写っている人形)、ミッキーマウス・ハンドカー(トロッコをこぐブリキ製がん具、1934年製)などの複製品や漫画絵本の復刻版、「ファンタジア」の複製原画などが入っている。1万セット限定発売だ。

映像

ウォルトは、アニメーションを「動く漫画」から映像芸術へと高めた。1932年に初のフルカラー作品「花と木」、1937年には、奥行きを表現出来る特殊カメラを使った「風車小屋のシンフォニー」を発表。そして1937年末、初の長編アニメ「白雪姫」を出す。アカデミー賞特別賞に輝いたこの名作は、2001年10月12日に世界同時にDVD化された。

また、10月27日からは東京・渋谷のシアターコクーン、新宿のアイマックス・シアターで「ディズニー映画祭」が開かれ、「白雪姫」「シンデレラ」や、「美女と野獣」の大スクリーン版など10作品が上映される。

音楽

「白雪姫」の「いつか王子様が」、「ピノキオ」の「星に願いを」など、ディズニー映画は数々の名曲も生み出した。2001年は、原曲とはひと味違うアレンジで聴けるシリーズがエイベックスから出ている。

発売されたのは、ボサノバ仕立ての「ボッサ・ディズニー」、ランディ・ブレッカーら米国の一線級がジャズ風に演奏した「トリビュート・トゥ・ウォルト・ディズニー」など。

12月5日には、東京ディズニーランドで記念コンサートが行われる。入場券と事前申し込みが必要。

最先端

ウォルトの「創造性と革新性」に敬意を表して、最先端のブランドやアーティストが参加する「D-100」プロジェクト。スチャダラパーらがディズニーの名曲をクラブ風に編曲した「ディズニー・エイジ@D-100カフェ」を出したほか、様々な若者向けのブランドが、ディズニーキャラクターをデザインした衣類や雑貨などを発売。12月20日には、原宿に「D-100ストア」が期間限定でオープンし、プロジェクトの拠点となる。

人間臭い味付け、表情も豊か

ディズニー・アニメの魅力を映画ジャーナリストの柳生すみまろ氏に聞いた。

「ウォルトという人物が、彼の作るキャラクターにそのまま反映されている。非常に人間臭い味付けだ。また、悪役もスタイリッシュで魅力的。それに表情も豊か。アニメーターたちが自分の顔を鏡で映しながら、登場人物の表情を考えたと言われています」

ディズニー映画発展の理由

また、ディズニー映画発展の理由について柳生氏は「ウォルトは、トーキーやカラー、ステレオサウンドなどを率先して取り入れ、技術革新を怠らなかった」ことを挙げる。さらに1984年、マイケル・アイズナーの会長就任後の第2黄金期を「ウォルトの死後も優秀なスタッフは良質なアニメを作り続けたが、方向性を示す人がいなかった。彼が“眠れる獅子(しし)”を起こした」と位置づける。

ディズニーの音楽

一方、ディズニーの音楽が優れているのは「ハリウッドの他の映画スタジオとシステムが違うから」と分析する。「ワーナーもパラマウントも映画と音楽は別の製作が多く、有名な作詞・作曲家を起用するが、ディズニーでは内部のスタッフが映画にふさわしい音楽を作る。だから映画にぴたりと合った音楽が出来るのです」

キャラクター作りに、スタッフのアイデア

1990年代以降は、ディズニーの第2黄金期。その立役者の1人が、プロデューサーのドン・ハーンだ。最新作「アトランティス/失われた帝国」の公開(12月8日)を前に来日した。

ディズニー・スタジオの変革期

彼がディズニー・スタジオに入社したのは1976年。「ウォルトと一緒に仕事をしたアニメーターらが高齢化し、その下は、僕を含め美術学校や音楽学校を出たての新米ばかりという時期。中間層がいない、スタジオにとっては変革期だった」と振り返る。

若いスタッフの中には、その後「アラジン」を監督するジョン・マスカーとロン・クレメンツ、「トイ・ストーリー」のジョン・ラセター、「猿の惑星」のティム・バートンらがいた。

美女と野獣

「入社して10年間は、トレーニング期間。そこで勉強してきたことを存分に発揮できるようになったのが、1991年の『美女と野獣』のころだった」

キャラクター作りなどでスタッフがアイデアを出し合うディズニーの伝統は、今も生きている。

「製作中は、冷えたピザを前に夜遅くまで意見を戦わすことが何度もある。そんな討論があったことを作品にはみじんも感じさせないようにするのが、プロデューサーの仕事なんです」

版権管理でグッズの質維持

ディズニー・グッズの魅力を、「ブリキのおもちゃ博物館」(横浜市)の北原照久館長(53)に聞いた。

「グッズは、がん具、文具、服など全部で何十万点にのぼるでしょう。それが1930年代から始まり、今も進行中。収集も奥が深く、ミッキーやミニー、ドナルド・ダックなど横の系列だけでなく、年代別や素材別に集められるので終わりがない。僕は3万点ほど持っています」

「こうしたコレクションの広がりの根底には、版権の管理が初期からきちんとされていることが挙げられる。いろんなものが出過ぎて統一感が無かったり、粗悪品が出たら、こんなには続かなかっただろう。ウォルトがアイデアを出し、それを形にするスタッフにも恵まれたのでしょう」

《ディズニーの主な長編アニメ》
公開年 作品名
1937年 白雪姫
1940年 ピノキオ
1940年 ファンタジア
1950年 シンデレラ
1953年 ピーターパン
1955年 わんわん物語
1961年 101匹わんちゃん
1967年 ジャングルブック
1977年 くまのプーさん
1989年 リトル・マーメイド人魚姫
1991年 美女と野獣
1992年 アラジン
1994年 ライオン・キング
1995年 トイ・ストーリー
1996年 ノートルダムの鐘
1999年 ターザン
2000年 ティガー・ムービープーさんの贈りもの
2000年 ダイナソー

2015年7月18日から宮崎県立美術館/ディズニー 夢と魔法の90年展/ミッキーマウスからピクサーまで/開け創造の扉/第1章/アニメーション

2015年7月11日

夢と魔法の90年展、宮崎県立美術館で開幕

「ディズニー 夢と魔法の90年展~ミッキーマウスからピクサーまで」(ディズニー 夢と魔法の90年展実行委=NHKプロモーション、ウォルト・ディズニー・ジャパン=、宮崎日日新聞社、宮崎県立美術館、MRT宮崎放送、UMKテレビ宮崎、NHKプラネット九州主催、第一生命保険協賛、県教職員互助会協力)は2015年7月18日、宮崎市の宮崎県立美術館で開幕する。8月31日まで。ディズニーを代表するキャラクター「ミッキーマウス」誕生のエピソードや、「白雪姫」「シンデレラ」「ライオン・キング」をはじめとする名作を生み出してきたスタジオ発展の歴史などを、約800点の貴重な資料により解説。7章構成の会場では、創始者ウォルト・ディズニーから受け継がれてきた「夢を見て、創造すること」の大切さを感じることができる。「ディズニー 夢と魔法の90年展~ミッキーマウスからピクサーまで」展に関わるスタッフへのインタビューを交え、展示会の世界観や魅力を紹介する。

第1章/アニメーション/キャラの変遷たどる

ミッキーマウスやその原型「オズワルド」の誕生にまつわるストーリーをたどることができる。例えば、より表情豊かに表現するための挑戦として瞳の描き方に絶えず工夫が加えられるなど、キャラクターの変遷が見られる。

また、「白雪姫」(1937年)「くまのプーさん」(1977年)をはじめとする、おとぎ話や児童図書の伝統的な世界観を表した作品概要も紹介。登場する主人公の仲間や妖精、邪悪な魔女など個性豊かなキャラクターが一堂にそろう。

第2章/サウンド/各作品の歌詞を紹介

「ピノキオ」(1940年)の「星に願いを」、「シンデレラ」(1950年)が歌う「夢はひそかに」など、ディズニー映画の名場面には主人公が自らの夢を歌に託した「ウィッシュ・ソング」が数多く存在し、感情やストーリーを盛り上げる。劇中の効果音へのこだわりや録音スタジオの様子、各作品の歌詞を紹介。合わせて当時のレコードアルバムジャケットも展示する。

第3章/スタジオ/秀作生み出す“工房”

米カリフォルニア州にあるディズニースタジオは、数々の秀作を生み出す“夢工房”で、細部にわたりウォルトの理想が詰め込まれているという。ディズニースタジオ内で使われていた椅子やドナルド・ダックが書き添えられたレストランのメニューなどが並ぶ。

また、アニメーションと実写を組み合わせた「ハイブリッド・アニメーション」の傑作「メリー・ポピンズ」(1964年)や、車や人形を少しずつ動かし、静止画をつなぎ合わせて動画にする「ストップモーション・アニメーション」の手法を導入した作品の小道具も紹介される。

第4章/プリンセス/世界観を表すドレス

白雪姫や「リトル・マーメイド」のアリエル、「眠れる森の美女」のオーロラ姫など、ディズニー作品に登場するキャラクターの中で高い人気を誇るのがプリンセスだ。過酷な運命や困難に負けない女性の強さや高潔さを個性豊かなプリンセスたちを通じて表現している。

展示品の呼び物は3着のドレス。「美女と野獣」(1991年)「シンデレラ」(1950年)「プリティ・プリンセス2」(2004年)の世界観そのままに、繊細なシルエットと輝くティアラが目の前に現れ、ディズニーの夢と魔法を体感できる。

第5章/自然界/生き物へ深い愛注ぐ

幼少期に自然豊かな環境で育ったウォルトは、自然や生き物に深い愛情を持っていた。「バンビ」(1942年)では子鹿を飼育して骨格や筋肉をデッサンし、「ライオン・キング」(1994年)、「ターザン」(1999年)では現地で緻密なロケハンと研究を重ね、自然と向き合った様子を、セル画やコンセプト・アートで紹介する。

第6章/パイレーツ・オブカリビアン/大規模な船上セット

「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズは、1967年米カリフォルニアのディズニーランドにオープンした人気アトラクション「カリブの海賊」から生まれた映画。照明を落とし、会場には劇中の一場面をほうふつとさせる大がかりな船上セットが組まれる。

セットの中に置かれているのは、ジョニー・デップ演じる主人公「キャプテン・ジャック・スパロウ」の人形や、作品中で使われた幽霊船の模型、小道具の数々。中でも、第2作のキーアイテムとなった「デッドマンズ・チェスト」は注目だ。細かな装飾や質感を目で見て楽しむことができる。

第7章/ピクサー/CGアニメの礎築く

先進の撮影技術を導入するため1986年に創設され、コンピューターグラフィックス(CG)アニメーションの礎を築いたピクサー・アニメーションは、世界初のフルデジタル長編映画「トイ・ストーリー」(1995年)や、「モンスターズ・インク」(2001年)など数々の人気作品を生み出した。作品のもととなるキャラクターの粘土彫刻やコンセプト・アートが並ぶ。

また、ピクサー・アニメーションスタジオの誕生期から活躍する映画監督ジョン・ラセターらの作品も。CGアニメーションで初めてアカデミー賞を受賞した「ティン・トイ」(1988年)のフィルム・フレームなども紹介する。

グッズ1000アイテム

出口付近に設けられる関連グッズ販売コーナーも充実。「ディズニー 夢と魔法の90年展~ミッキーマウスからピクサーまで」展限定品となるTシャツや絵皿をはじめ、プリンセス関連グッズや食器、文房具、人気キャラクターの縫いぐるみなど約1000アイテムがそろう。また、「アナと雪の女王」など近作が描かれた商品も登場する。

ココが見どころ/展示空間全体に魅力/ウォルト・ディズニー・アーカイブス/ニコラス・ヴェガさん

今回の宮崎会場など全国巡回展を企画するウォルト・ディズニー・アーカイブスのニコラス・ヴェガさん(36)に、ディズニー展開催の経緯や伝えたい思いなどを聞いた。

問:開催の経緯は。

ヴェガ ディズニーの歩みは1923年から始まり、現在では多岐に広がっている。テレビや映画など多くのメディアで生み出してきた豊かな歴史を皆さんと分かち合いたいと考えていた。米カリフォルニアのウォルト・ディズニー・アーカイブス本社には11の倉庫があり、何千、何万という収蔵品が眠っている。温度や湿度など美術館並みに細心の注意を払い大切に保管している。この中から約800点を選び、2013年に東京で3日間だけ展示した企画が好評だったことから、全国巡回することになった。

問:主な見どころを教えてください。

ヴェガ 何か1つのものに価値があると言うよりは、さまざまな作品が展示された空間全体に魅力がある。映画作品に使われている模型や衣装、スケッチなど多様な展示品を同時に見ることで、ディズニーの完成された世界観を感じてもらえると思う。

ミッキーマウスを作ったウォルト・ディズニーもわれわれと同じ人間。展示を通しそのひらめきを感じてほしい。

問:展示会の楽しみ方は。

ヴェガ 大人は100年近い歴史を振り返ってもらえれば。子どもは、それぞれが好きな作品、キャラクターを見つけてくれればうれしい。最近の作品のほか、「白雪姫」や「眠れる森の美女」などの作品についても知ってほしい。

問:子どもたちへメッセージを。

ヴェガ ミッキーマウスが夢を与える存在であることを伝えたい。彼が求めているのは夢を見ることと創造することだ。例えばディズニーランドという一大テーマパーク建設が実現したのは彼が夢を見続けたからこそ。夢を見ることを大切にする精神は今でもスタッフに引き継がれている。夢は必ずかなう。私たちが応援している。(沖縄県立博物館・美術館で)

ココが見どころ/貴重な資料たっぷり/県立美術館学芸員/佐々木明子さん

大きな特徴

「ディズニー 夢と魔法の90年展~ミッキーマウスからピクサーまで」展の大きな特徴は、ディズニー社がアーカイブとして保存している数多くの資料が展示されることにあると思う。日ごろはめったに見ることができず、中には一般公開は本邦初というものもある。それらはまさにディズニーの“宝物”であり、大人から子どもまで楽しめる展示になるだろう。

パブリシティ・アート

初期のミッキーを描いた「パブリシティ・アート」と現在のミッキーを見比べてみると、顔や体、手足の描かれ方が年々変化していっていることが分かる。その中でぜひ注目してほしいのは、ミッキーの「目」。初期は「黒い楕円(だえん)形」のような形だが、ある時から白目の部分も描かれるようになっている。

美しさに目を奪われる

立体物としては、映画「プリティ・プリンセス2」とブロードウェー版「美女と野獣」で使われたドレスやティアラ、ディズニーランドのショーで使われた「シンデレラ」の衣装などが並ぶ。特に女の子は、その美しさに目を奪われるのではないだろうか。

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」

また、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のコーナーには、俳優のジョニー・デップが演じた主人公で海賊の「キャプテン・ジャック・スパロウ」の等身大人形、撮影で実際に使われ、物語のキーアイテムとなったチェスト(小箱)などがある。実物を目の前にしてそれぞれの物語を思い起こすと、銀幕上で活躍した主人公たちの気分を味わえるかもしれない。

ディズニーの表現

ディズニーがこれまでに製作してきた作品は幅が広く、今でも私たちに夢や希望、愛を信じる心を提供してくれる。その世界観を凝縮した会場で、ぜひディズニーの表現に触れてほしい。

ディズニー・アニメ20本一挙に上映 映画祭、1991年6月6日から4日間

1991年5月1日

ウォルト・ディズニー映画祭91

20世紀の米国文化を代表するディズニー・アニメ20本を集めた「ウォルト・ディズニー映画祭91」が、1991年6月6日から4日間、東京などで開かれる。懐かしの名作から最新作まで、半世紀を超すディズニーの歴史を一挙に見渡す催しだ。

すべては1匹のネズミから始まった

「すべては1匹のネズミから始まった」。故ウォルト・ディズニーがのこした言葉だ。

ディズニー・アニメは、源をたどれば1928年にさかのぼる「ミッキーマウス」シリーズを始め、「白雪姫」(1937年)、「ピノキオ」(1939年)、「バンビ」(1942年)、「ピーターパン」(1953年)「101匹わんちゃん大行進」(1961年)など、多くが日本でも親しまれてきた。

旧作と日本初公開作品を数本ずつを上演

今回は、そうした旧作に3本の日本初公開作品(「ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え」、「リトル・マーメイド」、ミッキー・シリーズ最新作「王子とこじき」)などを加え、6月7-9日、東京・渋谷の渋谷東急で連日、数本ずつを上演する。

また、これに先立つ6月6日、千葉県浦安市の東京ベイNKホールで、音楽アニメ「ファンタジア」(1940年)を上映する。

アニメとクラシック音楽の融合

バッハ「トッカータとフーガ」やストラビンスキー「春の祭典」など8曲に、曲からイメージしたアニメをつけ、ミッキーマウスの案内で「アニメとクラシック音楽の融合」を楽しもうという作品だが、今回は、音楽をオーケストラが生演奏する。指揮は松尾葉子、佐渡裕ら。

もとの音をヘッドホンで聴きながら指揮するという練習の繰り返しに「頭の中で2つの音が同時に鳴るのは初の体験。音楽以外の才が必要みたい」と松尾。演奏は新日フィルだ。

「ファンタジア」は8000円-4000円。他の映画は1プログラムごとに1300円、子供600円。

【土曜映画館】インタビュー ドン・ハーンさん

1994年7月16日

ミッキーマウス誕生から66年。時代や国境を越えて愛され続けてきたディズニー・アニメは今、第2の黄金期を迎えている。そんな中、新作「ライオン・キング」が世界50カ国で公開される。ひと足早く封切られた全米では公開1週間の観客動員数が全米映画史上2位を記録、アニメ史上最高のヒットとなるのは間違いない。人気の秘密は何なのか。プロデューサーのドン・ハーン氏(39)に聞いた。

ディズニー・アニメの黄金時代

ディズニー・アニメの長編第1作は、1937年製作「白雪姫」だった。以後1940年代から1950年代にかけて「ピノキオ」「ファンタジア」「ピーターパン」などの傑作を続々と発表、黄金時代を築いた。

第2の黄金時代

その後は長く低迷が続いたが、1989年の「リトル・マーメイド」でそれまでの子供専門イメージを一掃。続く「美女と野獣」がアニメ初のアカデミー賞作品賞候補になり、「アラジン」がアニメ史上最大のヒットとなるなど、第2の黄金期といわれている。

取り戻した情熱

「一時期、観客ばかりか作り手側も情熱を失っていたのは事実です。でも、ディズニー・アニメはよみがえった。われわれはここ数年、さまざまな新しい試みにチャレンジし、大人も子供と同じくらい、いやそれ以上に楽しめる作品を誕生させてきた」と、ハーン氏は胸を張る。

ライオン・キング

32作目の長編「ライオン・キング」は、600人以上のスタッフが3年半かけて完成させた大作。父を亡くしたライオンのシンバが真の王者へと成長していく姿を、アフリカの大自然を舞台に描く。オリジナルの脚本、人間を1人も登場させないなど、今回もチャレンジ精神は健在だ。

おとぎ話から脱皮

「これまでのおとぎ話中心の内容から脱皮したかったんです。ただ、動物だけで話を進めるのは大変でした。東アフリカにロケハンしたり、アニメーターは動物園に行って動物をスケッチしたり、動物行動学の講義まで受けたんだよ」

ワンシーンに2年以上

もっとも苦労したという動物の動きは、コンピューター・グラフィックス(CG)が威力を発揮した。とくに何千頭ものヌーが崖をかけ下りるシーンは迫力満点。このシーンだけで、2年以上も費やしたという。

「確かに、CGなしでは不可能でした。でも、技術がすべてではない。アニメというのは、何もない紙に1つずつエンピツで息を吹き込んでいくもの。だからこそ、スタッフの情熱が1番大切だと思うんです」

チャレンジ精神とスタッフの情熱。それがある限り、ディズニー・アニメは永遠に不滅のようだ。

プロフィール

1955年、米イリノイ州生まれ。大学で音楽と美術を専攻後、プロの管弦楽団の打楽器奏者として活躍。1976年にウォルト・ディズニー・スタジオにアニメーターとして入社。その後「美女と野獣」「ライオン・キング」などをプロデュース。

夢の王国:ディズニー

1998年4月14日

スティーブン・スピルバーグの映画作り

スティーブン・スピルバーグは1970年代から1980年代にかけて、ハリウッドの映画づくりに風穴をあけた。彼がきわめようとしている映画作りとは何なのか。思い当たるのはウォルト・ディズニー(注1)である。

影響を受けたウォルト・ディズニー

スピルバーグ自身、「私がおそらく、他のだれにもまして影響を受けたのは、ウォルト・ディズニーだった」(フィリップ・M・テーラー著のスピルバーグ半生記)と語っている。子供のころに見た『白雪姫』(1937年)をはじめとする一連のディズニー・アニメの夢の世界が強烈な記憶として残ったらしい。

なるほど、スピルバーグの『未知との遭遇』(1977年)はディズニーの『ファンタジア』(1940年)を連想させるし、『E・T・』(1982年)には『ピーター・パン』や『ピノキオ』の要素がふんだんに盛り込まれている。『ジョーズ』(1975年)の大ザメにしても、『海底二万哩』(1954年)の巨大な怪物イカに通じるイメージがある。

SKG設立

SFX(特殊効果)映画の旗手ジョージ・ルーカスの大ヒット作『スター・ウォーズ』(1977年)の編集前のフィルムを見た数少ない関係者の一人がスピルバーグだった。同世代の2人はそれほど密接な関係にある。

SFX(特殊効果)の力量と魅力

スピルバーグは当初、SFXをそれほど重視していなかったが、ルーカスがサンフランシスコにつくった特殊撮影技術の専門会社「インダストリアル・ライト・アンド・マジック(ILM)」の力量と魅力を知り、再三協力を求めた。『E・T・』のSFXはILMが担当するなど、両者がタイアップした作品は少なくない。スピルバーグは、かつてのディズニー・アニメを超える夢世界に向かって模索を続けている。

映画製作会社「アンブリン」

1984年に独自の映画製作会社「アンブリン」を設立したスピルバーグは1994年10月、ハリウッドを揺さぶる動きに出た。

ドリームワークスSKG

映画製作からテレビ番組、ビデオゲームなどの娯楽ソフト、さらに音楽にもおよぶマルチ・メディア会社の設立であった。パートナーはディズニー・スタジオの会長をその2カ月前に辞任したばかりのジェフリー・カッツェンバーグ(注2)とロック音楽界の大物デビッド・ゲフィン(注3)。記者会見でスピルバーグは「将来をかける場所として、これ以上の場所は考えられない」と語った。3カ月後、社名は3人の名前にちなみ「ドリームワークスSKG」と発表された。

独自の撮影所の建設を目指す

アンブリン、ドリームワークスの両社とも、スピルバーグがかつて籍を置き、因縁が深いユニバーサル・スタジオ内にオフィスを構えているが、独自の撮影所の建設を目指している。

スピルバーグの挑戦

以上の事実は、ハリウッドの7大映画会社の1つを擁し、娯楽産業界に君臨する「ディズニー王国」に対するスピルバーグの挑戦を意味するのだろうか。

「映画職人」

デビー・ニューマイヤー

ハリウッドから至近距離にあるビバリーヒルズの一角に1994年、映画製作会社「ダブル・ダウン・プロダクションズ」を興したデビー・ニューマイヤー(40)にとって、スピルバーグは兄のような存在である。

スピルバーグとともに過ごした10年間

ディズニー時代のカッツェンバーグや、ウォーターゲート事件を素材にした『大統領の陰謀』(1976年)などの監督アラン・J・パクラ(注4)のもとで働いた経験のあるニューマイヤーは1984年8月、設立まもないアンブリンに入った。映画の脚本や配役を決める部門の長として、さらにアンブリンの副社長としてスピルバーグとともに過ごした10年間を「いつもおもしろさに満ちていた」と彼女は懐かしむ。

スピルバーグへの先入観

天才とは他人に対しては閉鎖的なものだ。あまり意見も聞きたがらない。ニューマイヤーはスピルバーグについても、そうした先入観をもっていた。

「ところが、スティーブンはまったく違った。彼はオフィスに姿を現すと、文字どおり腕まくりして仕事を始めた。彼は映画製作の創造的な面にはどんな細部にも自らかかわった。私たちは毎日夜9時まで働き、週末にさえミーティングを行った」

定時の会議はない

アンブリンには広い廊下がある。スピルバーグはそこで各部門の担当者を見つけると、アイデアについて議論したり、方針の打ち合わせをしたりの即席ミーティングを行った。定時の会議などはなかった。

カジュアルな会社

6、7人いる役員が契約や取引のことでスピルバーグの部屋に出向くことはなかった。彼らの部屋にはいつも、ボスの方がやってきたからだ。アンブリンはとてもカジュアルな会社だった、とニューマイヤーは言う。

「スティーブンは手品を楽しむように、映画を作っているときが一番幸せなんです。撮影カメラをセットしているときに、次の映画のことを考えているくらいなんだから」

彼女が語るスピルバーグ像には、あくまでも映画職人のイメージしかない。

商品化戦略

『E・T・』や『ジュラシック・パーク』のキャラクター商品は、ディズニーのミッキーマウス(注5)と同等の浸透力を示している。映画がより大きな成功を勝ち取るためには、こうした商品化戦略も不可欠。アンブリンも力を入れている。

おもちゃ会社の思惑には左右されない

ところが、ニューマイヤーによれば、スピルバーグ自身はこうした戦略に原則として慎重な姿勢らしく、「彼は、映画がおもちゃ会社の思惑に左右されるようなことがあってはならないとかたくなに思っている」という。

ロサンゼルス支局長ロン・グローバー

ビジネス・ウイーク誌のロサンゼルス支局長、ロン・グローバーは、次のように指摘した。

「スピルバーグに、ディズニーのような娯楽産業の王国を築き上げようという野心があるとは思えない。あるとすれば、カッツェンバーグやゲフィンの方だろう。すでに富を築いたスピルバーグが得ようとしているのは、後世に残る真の映画人としての名声ではないか。独自の撮影所を建設しようとしているのが、その証拠だ」

スピルバーグは従来のヒット作品とは全く作風が異なる映画に取り組み始めた。その代表が『シンドラーのリスト』(1993年)である。

【豆事典】

(注1)ウォルト・ディズニー(1901-1966年) 兄のロイとともにロサンゼルスでアニメーション映画会社を始め、ミッキーマウス、ドナルド・ダックなどの人気キャラクターを生んだ。また『白雪姫』をはじめとする長編カラー・アニメを次々とヒットさせ、数多くのアカデミー賞を受賞。1955年には長年の夢だった遊園地ディズニーランドをロサンゼルスに開設、事業家としても成功した。

(注2)ジェフリー・カッツェンバーグ ディズニーの制作部門、ディズニー・スタジオの最高責任者として『ライオン・キング』や『美女と野獣』などの長編アニメを次々にヒットさせたが、1994年に辞任。ドリームワークスの創設に加わった。

(注3)デビッド・ゲフィン(1943年- ) ロック・ミュージシャンのマネジメントから、レコード製作に転身。アサイラム・レコーズを経てゲフィン・レコーズを創立、ジョン・レノン、エルトン・ジョンなどの大物ミュージシャンを抱え話題になった。

(注4)アラン・J・パクラ(1928年- ) 映画プロデューサーとして、ロバート・マリガン監督とのコンビで『アラバマ物語』『マンハッタン物語』などを製作。1969年の『くちづけ』で監督となり、1971年の『コールガール』では主演のジェーン・フォンダがアカデミー主演女優賞を受賞した。

(注5)ミッキー・マウス ディズニー漫画の主人公。無声映画に登場した後、1928年のトーキー映画『蒸気船ビリー』で有名になった。無名時代のディズニーが飼っていたネズミがヒントになって生まれ、最初はモティマーと呼ばれていたが、夫人の進言でミッキーに変わったという。

【イブニングマガジン】ミッキーマウス 出版事情 月刊誌、絵本、コミック…

1999年7月28日

ミッキーの世界

数あるキャラクターの中でも抜群の認知度で、老若男女を問わず幅広い支持を集めているミッキーマウス。ディズニー関連雑誌も書店の店頭をにぎわしている。71年の歴史を持ちながら、少しも色あせることなく、世界中で人気を保ち続けているミッキーの“秘密”は-。1999年7月31日(土)からは東京のホテルで『キャンプディズニー ミッキーと仲間たちの夏休み』も始まる。夏休み中のお子さんと、ミッキーの世界にひたってみませんか。

講談社

1950年(昭和25年)に日本でいち早くディズニーとライセンス契約を結び、数多くの絵本や単行本を手がけてきた講談社は、月刊誌『ディズニーファン』(毎月22日発売)と、幼児誌『月刊ディズニーランド』(毎月1日発売)を発行している。

10万人以上の読者が定着

1990年(平成2年)に季刊誌としてスタートした『ディズニーファン』は、1992年(平成4年)から隔月刊となり、1999年3月には月刊誌になった。読者の95%が女性で、主婦層が5割近くを占める。公称15万部。月刊になってからも、コンスタントに10万人以上の読者が定着している。

エンターテインメント情報誌という雑誌の枠組みからすれば、読者の平均年齢26歳という数字は、意外と高い。

小野正隆編集長

創刊以来、『ディズニーファン』を手がけてきた小野正隆編集長(53)はこういう。

「1983年(昭和58年)に東京ディズニーランドがオープンして16年。子供のころに1、2度遊びに行ったことがある世代が親になって、いま子育ての時期。子供と一緒に、もう一度ディズニーランドを楽しもうとしているのではないでしょうか。9年前の創刊当初は、初歩的な情報を中心としたガイドブック的な色彩が強かったが、現在は、リピートファンのために、より詳細な情報や遊び方を教える参考書のような存在になっています」

幅広い年齢層から支持

下は小学生から上は80代のお年寄りまで、幅広い年齢層に支持され、定期購読が多いことも、大きな特徴だそうだ。

読者アンケート

読者アンケートでは、ミッキーマウスとくまのプーさんが人気を二分している。とくに万人に愛されるミッキーは、「ムダな線がなく、ビジュアル的に完成されたキャラクター」だと小野編集長はみる。

悪役も陽の目を浴びはじめる

ハロウィンタウンのネクラなカボチャ大王を主人公にした『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993年)がヒットしたせいか、数年前から例えば『白雪姫』の魔女のような「ディズニービラーンと呼ばれる悪役も陽の目を浴びはじめています」。

ディズニーワールドの洗礼

小野編集長自身、1955年代(昭和30年代)の小学生時代に、街頭テレビで『ディズニーランド』のモノクロ放送を見たり、アニメーション映画『バンビ』『ピノキオ』を見て、ファンタスチックなディズニーワールドの洗礼を受けた世代。

「年齢を忘れさせてくれるディズニーの世界は、幅広くて奥が深い。誌面上でも、年齢を意識させないページ作りを心がけています」

月刊誌『ミッキーマウス・コミック』

一方、1999年4月、創刊された月刊誌『ミッキーマウス・コミック』(毎月1日発売)は、6-8歳の小学生とその両親を読者対象に、映画・ビデオや絵本では見ることができなかったコミックスター、ミッキーの魅力をフィーチャーしている。公称20万部。

発行元のエグモント・ジャパンは、デンマークに本社を置き、創業120年の出版実績とヨーロッパにおいて50年に及ぶディズニーとのライセンス契約をもつ児童出版社(発売は河出書房新社)。

雑誌の内容

雑誌の内容は、ミッキーやドナルドらを主役にした読み切りコミックが5、6本。この9月号で第5号を迎えるが、「思ったよりかわいい」と好評。日本のマンガスタイルによる新作も登場し、月刊誌とはいえ1本のコミックを作り上げるにも、1年がかりの作業で進められる。

宇井秀雄編集長

宇井秀雄編集長は「最近の日本のマンガは、子供向けのものとはいえ、絵もストーリーも非常に刺激が強いものが多い。そうした中で、ミッキーは、好奇心にあふれ純粋な魂を変わらずに持ち続けているヒューマンキャラクターなのです。コミックには、日常的な暮らしの中で、夢や冒険をかなえてくれる身近な存在として、子供たちが感情移入することができるキャラクターがそろっている。親が安心して子供に与えられる世界といえるでしょう」。

ミッキーのコミック史

ミッキーのコミック史は1930年にまでさかのぼる。コミック版ミッキーは1930年1月13日の新聞マンガから始まった。ストーリーはウォルト・ディズニーが作り、漫画はアニメーター、アブ・アイワークスが担当。その後、描き手はフロイド・ゴットフレッドソン、ダニュエル・ゴンザレスらに引き継がれていった。

わき役たちも活躍

映画と並んで、長い歴史を刻んでいるコミックだけに、スクルージ、ヒューイ・デューイ・ルーイなどのわき役たちも、生き生きと活躍している。

「映像とコミックでは、キャラクターのイメージの広がり方が違うので、個々人の感性でキャラクターを好むことができるのではないでしょうか」

お年寄りにもファンが多いミッキー

お年寄りにもファンが多いミッキーだけに、祖父母の代から親子3代そろって楽しめるコミック本は、日本ではかつてなかったことかもしれない。

雑誌創刊に先立ち、1998年12月に2冊の単行本を箱におさめた『ミッキーマウス名作漫画集』を発行。1930年に始まった最初の連載漫画など、マニアにはうれしい本邦初公開作品も収録されている。